西尾商店について

だし屋のはじまり

1906年(明治39年)静岡県庵原郡岩渕村(現:富士市岩淵)の初代 西尾栄太郎が、蒲原の大岩妙太郎と久保田虎松らが、このあたり一帯で削り節業を始める。

多彩な海の幸が育まれる駿河湾沿いの小さな漁師町 蒲原。
明治時代に広島県で製造された1台の削り節製造機が蒲原に運ばれ、そこから静岡県の削り節産業が盛んになったと言われています。(蒲原削り節の歴史より)
その1台の削り節製造機を最初に導入した会社が、「有限会社 西尾商店」です。
1909年(明治42年)ころ、岡山県福山が「発祥 いわし削り節」の情報をいち早く捉え、1918年(大正7年)ころ初代 西尾栄太郎によって静岡県に伝えられた。
それを契機として静岡県の削り節産業が広がり、駿河湾に面した地域で特に焼津はかつお節の文化が定着し、だし屋 西尾商店が所在する蒲原ではいわし削り節の文化が深く根付いている。
以来百有余年、こだわり続けるだしの老舗。
その後、四世代に渡りいわし削り節は継承され、100年経った今も庶民の味として愛されている。

技術と素材

削り節の元となる原料は主に鹿児島・枕崎・山川・長崎・土佐・焼津・御前崎から仕入れます。
原料には旬の時季があります。
それぞれの種類をそれぞれの旬の時季に1年分仕入れることで、年間を通じて良質な原料を確保することが出来るのです。
「良質の原料に心を加えて削れば、さらにおいしい削り節になる」と社員全員がこれをモットーとして取り組んでおります。

こだわり

「卓越した技術とこだわりの素材が融合する」

だしにこだわりを持っている蕎麦店やラーメン専門店などが求めるだしの味を
生かす調合や提案を対話し続けてきたゆえのメッセージである。
そのこだわりについて、以下の三点を柱に西尾商店は日々邁進している。

安定
毎日同じだしを取って頂くためにも。安定した商品の提供。原料には旬があり。
それぞれの種類の旬の時期に一年分以上仕入れることで年間を通じて良質な商品を提供出来る。
決して妥協せず美味しいものを造る。
半年以上かけて職人が丹精込めて造り上げた本枯節を、さらに二年間熟成させたものを削る。
良質の食材に美味しいものを造るという心を込めて削れば、さらにおいしい削り節になる。
安心
商品に安心を得るために衛生的な工場で製造管理している。
金属探知機の使用はもちろん、異物混入に細心の注意を払っている。

いまのこと

基本となる「味」を追い求めて

だしにこだわりを持っている蕎麦店やラーメン専門店、和食店などを中心にした業務用だしとして、本枯節、鰹節、まぐろ節、青ムロ鰺節、宗田節、いわし節、あご節などを顧客の要望に合わせた削り節を製造直売しています。
蕎麦は天ぷらや寿司と並ぶ伝統的な日本料理で、その歴史は古く奈良時代より以前にアジア大陸から伝来されたと言われいています。
その蕎麦に使用されているつゆ(蕎麦汁)は、かえし(濃口醤油、砂糖、みりん等を煮たもの)とだしからつくられ、地域によって色や濃さ、味などに微妙な違いが多くあることもあります。
だしの食材にもそれぞれ特徴があり、例えば宗田節はコクと甘みがあることから宗田節の量を増やすことで、かえしの量、砂糖やみりんの量が変わり、これらを店主とどの様な調合にするかを対話しながら決めていきます。

日本の食文化の源と呼ばれる「だし」

大切な文化を途絶えさせない為にも、だしの学校を開校し全国各所でだし取り講習を展開しています。
子育て支援センターでは乳幼児をもつ母親を対象に開催し、こども園、小学校、地域の学習交流館などで、だし取り講習やだしについての講座を開催しています。
企業からの要望での開催も広がりを見せており、飲食店様向けのプロコースを開校し、飲食組合向けの講座や飲食店開店支援、既存の削り節の配合変更や提案、削り方によってのだしの取り方の講座なども展開しています。

日本の食文化の源と呼ばれる「だし」

これからのこと

だしの文化・歴史を守り・広げていく活動

こだわりの厳選した原料を高い切削技術で製造をし、新規顧客の開拓と既存顧客へのサポートをしながら、だしの魅力を発信し、ユネスコ無形文化遺産に登録された「和食」の基本である「だし」の普及活動を通して継承していく。
さらには、老舗が守る歴史と、削り節業界を牽引していく新しい歴史を生み出し、業界の発展を支えていくと共に本物を伝える伝道師として様々なことにこれからもチャレンジしていきます。